シーク(水路やダム、そして石畳)

入り口を入って、しばらくは

まだ、景色は開けていて

ところどころ、緑もあります。

ペトラ

岩山も、徐々に迫ってきました。

ペトラ

途中に、水路の跡があります。

ペトラ

日本では弥生時代

古代のペトラでは、冬に、洪水が起きると

ワディ・ムーサ渓谷から

水がシークに流れ込んでいたため

それを防ぐ目的で

こうした水路や、ダムが

ところどころに、造られていたそうです。

この水路は、先日の鉄砲水の際にも

大量の水が流れたそうで

流れた跡は、まだ濃い茶色に変色していました。

引き続き、歩いていくと

槍や盾のようなものを持っている人達がいました。

ペトラ

シークの警備をしているそうですが

現代の兵士や、警察のような服装ではなく

当時の衣装や、武器的なものを持っていて

古代遺跡の雰囲気を醸し出しています。

バッテリーがやばい

再び、どんどん進んで行くと

岩山も近くなってきて

ペトラ

道幅も狭くなってきました。

ペトラ

奥の方を歩いている人達を見ると、小さい!

両側にそびえ立つ岩が、高~い!

まさに、断崖絶壁。峡谷。

奥に何があるのか(知ってますが・・・)

一挙に、秘境感、探検感が出てきて

どきどき、わくわくします♫

道を下ってみると

両脇に、断崖がそびえ立っています。

ペトラ

子ども達や、民族衣装を来た人達、

警備の人達もいます。

朝早いので、まだ観光客は少なく

遺跡で働く人や、お土産などを売る人達(大人・子ども)が

出勤しているところだそうです。

どんどん、狭い谷を歩いていきますが

ちょっと歩くだけで

見える風景が、どんどん変わっていくので

そのたびに、「わぁ~!」と思いながら

写真を撮りまくります。

ペトラ

ところどころ、樹も生えています。

ペトラ

ペトラ

洪水が起こることがあるにせよ

土漠地帯という過酷な環境でも

植物は育っていくんですねぇ。。

生命は、たくましい。

シークは、1本道ですが

横を見ると、ときどき

ちょっと開けたところもあります。

ペトラ

ちょっと歩いて、場所が変わるだけでも

岩肌の削れ具合とか、岩の色などが違います。

黒っぽかったり、茶色っぽかったり

ベージュっぽかったり・・・

岩肌だけでも、見飽きることがありません。

古代ローマ帝国もびっくり

てくてく進むと、ダムが現れました。

ペトラ

前述の、ワディ・ムーサ渓谷からの水を堰き止め

ワディ・アル・ムズリム渓谷と

ワディ・マハッタ渓谷の方に流れるよう

ナバタイ人によって、建てられたダムです。

古代ナバタイ人は、洪水への備えや

飲料用水路、灌漑用水路など

水を利用した施設を造ることに

長けていたそうです。

「エル・ハズネ」に向かって、右手の水路は

飲料用です。

ペトラ

ここに、素焼きの水道管が通されていたそうで

状態の良いものは

ヨルダン博物館で見ることができるそうです。

のちに、ペトラがローマ帝国に占領された時

手直しをする必要がまったく無かった、と言われたほど

ペトラの治水事業は、当時、最高水準のものだったそうです。

シークでは、石畳の一部も残っています。

ペトラ

右手の、カーブした部分は

前述の水路(飲料用の水道)です。

貿易都市として栄えた王国。

現在、シークの足元は、大部分が土ですが

当時は、石畳が敷かれ

水利システムも完備され・・・

土漠地帯といえども

国の人々や、旅人に便利な、

住みやすい国になっていたんですねぇ。

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